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カオルさん

カオルさん(31歳)
ニューヨーク在住。現在は在宅で翻訳とライターの仕事をしており、育児との両立で大忙し。夫のJoさんはアメリカ人で、仕事・家事・育児を全面的にサポートしてくれます。2001年11月15日にうまれたジョ・オーくんは只今やんちゃ盛り。既に日本語と英語を話すバイリンガルで、クルマと納豆が大好きな男の子です。



でもボクは眠いのだ…
でもボクは眠いのだ…

おうちへかえろ
おうちへかえろ

何を見ているの?
何を見ているの?

産後1日目
産後1日目

一冴です。ヨロシク!
一冴です。ヨロシク!

「すばらしいお産だった」とDr.ウェビー
「すばらしいお産だった」とDr.ウェビー

LDRにて。陣痛に耐える図
LDRにて。陣痛に耐える図

★日記は、毎週月曜日に更新されます。どうぞお楽しみに!

2月15日(日)まだまだツライです
昨日の夕方から後陣痛がより増して、お腹がぎりぎり、唸ってしまうほど痛い。背中も痛いからダブルパンチ。前回はこんなに痛くなかったけどなぁ。母によれば、経産婦ほど子宮の収縮がいいから痛いのだという。痛ければ痛いほど早く終わる、らしいのだが…。午後2時、一冴を連れて帰宅。すごくお腹が空いて、ビッグマックをぺろりと食べてしまった。この食欲、これからどうなるのか恐ろしいぞ。ジョー、一冴、私の3人で昼寝していると、またお腹が痛み出した。咳も止まらないし、熱をはかってみたら37度6分。うー、どうなってるんだ。苦しい。夜、ジョーの両親がジョ・オーを連れてきてくれる。寝る前になって、ジョ・オーに「ほら見て、一冴の足ちっちゃいねー」と言って何気なく見せたら、「ひひひっ」と笑いながら頭をそーっと撫ではじめた。顔を寄せて、おでこにチュー。最後には「ベイビー、かわいー」なんて言う。よかった。そう、焦らず少しずつ、ね。
2月14日(土)ジョ・オー、弟にご対面の巻
37週でビッグにうまれた私たちの2人目の息子。名前は一冴(いっさ・Issa)です。特に込める願いみたいなものはないけれど、すっきり晴れた冬の夜空に小さいけれど冴え冴えと輝く星、みたいなイメージかな。みなさんよろしく。さて、昨日の産後の私はといえば、ベッドの上ですぐに大きなチキンサンドイッチをぺろりと平らげるほどの元気ぶりであった。ただ、夜中には後陣痛がかなりの強さでやってきて、その上にエピドラルの麻酔のせいで腰がズキズキ。産前からの咳も止まらないし、あまり眠れなかった。今朝は午前6時に日本の母に電話。「感動したでしょう。泣いた?」と訊くので「ぜーんぜん」と答えると、「クールなのねぇ…」と言われた。正直言って、うまれた感動よりも“やっと諸々の辛さから解放される”という気持ちの方が強かったのだ。午前中、一冴におっぱいをあげてみると、一応軽く吸いついてくる。胸はまだ全然張ってないけれど、この2、3滴が大事らしいので口に流しこんでおいた。午後、ジョーが病室に来てからシャワーを浴びてスッキリ。その後、バレンタインデーのギフトをくれた。ダイアモンドのハート型ネックレス。ジョーに何も用意していなかった私だが、「最高のバレンタインデーのプレゼントをありがとう」と言ってくれた。ううん、私の方こそ、ジョーがいなかったらこんなにいいお産はできなかったよ。陣痛の間、水を飲ませてくれ、リップクリームを塗り、マッサージ、最後にはトイレの世話までしてくれたのだ…。妊娠中からお産まで、本当にふたりで産んだ、という気がする。夕方、義両親とジョ・オー到着。ジョ・オーはベビーにまったく無関心という感じで、覗きこもうともしないし何も言わない。義母は一所懸命、ジョ・オーに一冴の名前を呼ばせようとするけれど、私としては少しずつ、自然に慣れていけばいいさ、という感じ。私の傍らに座らせてジュースをあげると調子が出てきたのか、お絵描きをはじめたり、電話で遊びはじめたり。帰りはにこやかに手を振って帰って行った。さて、家に帰ったらどうなるか。
2月13日(金)やってきた“その日”
午前3時半、病院に着いたらそこは痛みにウンウンうめく妊婦でいっぱいだった。私の痛みなんてまだまだ序の口なのかも…。登録を済ませて、ドクターに内診してもらうと子宮口はまだ3センチ。「痛みが5分間隔になるまで歩いてきて」と言われてしまった。やっぱりね…。階下に行き、(昼間の仕事から帰ってまったく寝ていなかったので)ジョーにはロビーで昼寝してもらい、私は夜中の院内を早足で歩き回る。う〜、痛いぞ痛いぞ。ベビーがものすごく出口に近い感じ。歩いていると、体が痛みにどんどん慣れていく気がする。午前6時、2時間歩いた頃、5分間隔になったので上へ戻る。子宮口はそれでもまだ3センチだったけれど、LDRへやっと移動。陣痛がついてからもう大分時間が経っているので、陣痛促進剤を投与してもらう。ところで、私は今回のお産に目標をたてていた。“陣痛に耐える(呼吸法をうまく使って叫んだりしない)”ことと“しっかりいきんで出してあげる”こと。前回はこのふたつがまったく出来ていなくて、あれよあれよという間に最後はお腹を押されてジョ・オーが出てきたのだった。さて、痛みが強くなるなか、エピドラル(硬膜外麻酔=無痛分娩)を投与するか否かの選択を迫られた。Dr.ウェビーはその副作用のために基本的にエピドラルを好まない。女性ナース達に意見を求めると、「男のドクターはあの痛みを知らないのよ!」とエピドラルを薦める人が多数。…迷った。が、そのうち背中に熱い痛みがどわーっとやって来て、ベッドに背中がくっついてしまったような感覚に襲われ、「ジョー、エピドラルにする」と遂に言ってしまった。この麻酔はドクターによっては子宮口2センチ開大から投与する人もいるらしいが、Dr.ウェビーは5センチ以上になってから、と言う(経産婦の場合、6センチからはあっという間に全開になるからエピドラルは必要ない、というのも彼の意見)。…それまでが辛かった。痛みがかなり強くなってきたので催眠作用のある薬を入れてもらったら、うわ言は言うわ(英語で「ジョ・オー、白い壁に落書きはしないでね」等らしい)、尿意は頻繁にあるわ。やっと6センチになりエピドラルを投与してもらったら、ジョーと会話が出来るくらいかなり楽になった。それでも、痛みは思ったよりも感じる(麻酔の量が少なめだったため)。そうこうするうちに、いきなり下半身がぼーっと燃えるような感じになって、「大」と「小」が一緒にしたいような感覚になった。「あー、9センチだ。もういきめるね」とドクター。…私は天にも昇る気持ち。とても冷静な気持ちで、痛みに合わせて4回ほどしっかりいきむ。私がいきむ度にドクターとナースが、「ビューティフル!(とっても上手)」と言ってくれるのが神様の声みたいに聞こえた。午後2時30分、ベビー誕生。3,335グラム、51センチの元気な男の子。終わった…終わったよ。
2月12日(木)これはびっくり!
今日のチェックアップのアポは午後6時。待合室はいっぱいで珍しく1時間ほど待たされたのだけど、その間お腹がかなり張って痛くなり顔をしかめてしまうほどだった。ジョーが腰をさすってくれながら、「何?今ここで産まれそう?」と笑って言う。まさか〜。が、しかし…NSTの後の内診。「もうお産に入ってる状態だよ。子宮口が2,3センチ開いてるし、頭がかなり下がってる。とりあえず陣痛をしばらく抑える薬を入れておくけれど、今夜か明日の早朝には病院に行くことになるだろうと思う」。わ〜、本当に?!帰り道、ベトナム料理屋で夕食をテイクアウト。ジョーはコーフンからか、会う人ごとに「彼女はもうお産に入ってるんだよ」なんて言ってる。食べている間もお腹は重くきりきり痛む…。う〜、本当だ、これはあの前駆陣痛ってやつとまったく違うわ。明朝までもつか自信がなくなってきたぁ。痛みを逃すためにお風呂に入ったら、ジョ・オーが自分で服を脱いでついてきてしまった。ジョーが止めたけれど、しばらく一緒に入れないかもしれないもんね、今夜は一緒に入ろ。普段にも増して、ジョ・オーがいとおしく思えてしまう今夜。午後11時、痛みがかなり増してきたので、義父にジョ・オーを迎えに来てもらう。すると、安堵からか痛みはおさまり気味に。持ち物を再度チェックし、ソファに寝転んで間隔をはかる。午前2時半、間隔は10分弱に。うーん、まだ行くのは早いかな。どうしよう。でも、間に合わなくなっては困る。午前3時、家を出た。
2月11日(水)せっせと動いて
明日のチェックアップに向けてではないけれど、37週に入ることだし、目いっぱい家事で体を動かした。シーツやらピローケースやら全部洗濯して、寝室のフロアも手拭きで掃除。雑巾がけをする度にジョーが「どうしてそんなお腹でそんなことするの!」と止めるので、日本では雑巾がけとトイレ掃除は安産にいいって言われてるんだよ、と教えるが信じてくれない。だから、ジョーがいないうちにガンガンやっちゃうのだ。頑張った成果か、夕方からまたお腹の張り。ときどき歩くのも辛くなる程だし、キッチンに立ちつづけているとぴきーんとシャープな痛みも走る。夜、ジョーと「これだけ痛かったら、子宮口はぜったい開き始めてるよねー」と話す。どうかなー、どうかなー。
2月10日(火)面倒なことは早めに
お昼、仕事の合間にジョーが迎えに来てくれ、車でマンハッタンへ。10年有効のグリーンカード(永住権)の申請に、移民帰化局のNYオフィスへ行くためである。いつ産まれてもおかしくないこんな時に行きたくない(ひどく待たされるから)、ベビーが産まれてからにする、と散々言ったものの、「産後じゃ余計に行くチャンスがなくなるよ。面倒なことは今のうちに済ませなきゃ」とジョーに半分無理矢理連れて行かれた。結局、予想より長く待たされずに手続きは終了。これでしばらく移民帰化局との面倒な色々から解放されるかと思うと、すごく嬉しい。ジョーに言われた通り今日行ってよかった。外に出た緊張感からかお腹の張りもほとんどナシ。ん、これは安堵?がっかり?
2月9日(月)産休もよろし
朝起きたら、お腹の張りはどこへやら…。またフェイント。さて、今日から週1回の原稿書きを除いてすべての仕事は産休に。どれも好きな仕事で、普段苦痛に感じてやっているわけではまったくないのだけれど、ないならないでやっぱり気持ちはかなり楽なもんなんだなーとしみじみ。もうちょっとゆったりベビーの誕生を待とうか、という気にもなってくる。産休って、フィジカルな面だけでなくメンタルな面でも大事なんですね。一日中家事をして、合間に柳美里の「命」をまた読んだ。“シアワセ〜♪”の甘い匂いだけじゃない妊娠と出産のストーリーに妙に癒されたりして。
★ここにはサポーターのアドバイスが入ります。


編集部よりコメント
カオルさん
一冴(いっさ)くん、美しい地球へようこそ。これから同じ地球人。よろしくね。カオルさん、おめでとうございます。&お疲れさまでした。これまでも「So Da Tsu日記」でいくつかの出産レポートに立ち会って?きましたが、その度に深い畏敬の念を抱きます。カオル型(米国で・米国人の夫と一丸となって・2人目の出産で・仕事をもってる等)の出産はなかでも鮮烈。そしてカオルさんの慈愛にあふれた感受性は、本当に素晴らしい!!です。末長いお幸せをお祈りしています。
(So Da Tsu com編集長 吉田泰子)
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