

ティナさん(39歳)
夫と、高校生になる長女アリサさん、3歳の次女チッチちゃん、義母との5人暮らし。お仕事は自営業の夫の事務、たまに料理関係の仕事。趣味は料理 毎日しないといけないし、仕事でもあるので趣味とはいえないかな。大好きなエアロビクスにも行きたいが、趣味を楽しむ時間なんて全くなし! 今のところの楽しみは料理だけ。

やっと公開できました。母からのマザーズバッグ。イルフェボウです。中はうまく写真がとれないけれど、やたらめったらポケットがついています。

10月25日のユークンです。誰に似ているのか?

デレデレのパパです

退院の日。わたしの母に抱かれて。

名古屋の友達からの花束。思ってもいなかった長い入院生活。とってもなごみました。

病院で。お腹がいっぱいでごきげんです

お腹の中で左が下になっていたみたいで、左目がうまくあきません

帝王切開後2日目 ごたいめーん!
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★日記は、毎週月曜日に更新されます。どうぞお楽しみに!
| 子育て掲示板にメッセージをいただいた皆さん、そしていつも読んでくださっている皆さん無事出産しました。本当にありがとうございました。 |
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| 10月24日(金) 寒い寒い |
夜中の授乳が寒い。いつの間にか秋も終わりかけているようだ。外気温が9度。室内も13度くらいしかない。夜あわてて「デロンギヒーター」を押入から引っ張り出した。これは、赤ちゃんがいる家庭にはおすすめ、すっごくあったかいというわけでなく、ポカポカとなんとなくあったかいのだ。
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| 10月23日(木) いつもの生活に |
チッチは、ユークンの世話を焼きたくてしょうがない。なんでも「やったるから(やってあげるの大阪弁)」状態。アリサは、冷静を装っている。でもこっそり抱っこしていたり、友だちに携帯で写真を送っていた。ユークンは、わたしのおっぱいの出が悪いので、おっぱいの後、ミルクを(口直しに?)80〜100ml程度飲む。過去2度の出産時もスタートは悪いけれど、1ヶ月くらい経つとおっぱいだけで足りるようになったので、あんまり心配はしていない。退院していきなり20日過ぎて夫の仕事は忙しい時期となった。ユークンが寝ている間をぬって、保育園の送り迎え、銀行や事務所に行くような生活が始まった。産後ののんびり生活はわたしには、無理のようだ。(ゆっくりできない性分なのかも)
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| 10月16日〜10月22日 赤ちゃんとご対面 |
手術後2日目。ようやく尿をとる管もとれ、歩くことを許された。そして、やっと赤ちゃんと対面。一番しんどいめをしたわたしが、赤ちゃんを抱くことも祝宴もごちそうもお預けだった。(食事は重湯!)。はじめて赤ちゃんを抱っこした。こんなに大きいなんて、出てこられるはずはないよね(特に頭がデカイ)。そして今日名前が決まった。姓名判断で夫の先輩に名前の候補をあげてもらって、その中から夫が選んだ。幸生(ゆきお)といいます。Sodatsuの中では、ユークンとさせてもらいます。以後、お見知りおきを。わたしの身体は順調に回復。「帝王切開してこんなにスタスタ歩く人みたことがない」と看護師さんに言われるほどだ。でも、自分ではできると思っていることが苦痛だったりする。売店で500ミリリットルのペットボトルを持って歩くのが大変だったり、トイレに座って立ち上がるときには手すりなしでは無理だったり。そして予想どおり、副乳がはって熱を出した。それにプラス麻酔の後遺症で首と頭がとにかく痛かった。そして後腹。(これは経産婦で人数が増えるほど痛みが増すらしい)痛みはあとからも押し寄せてくるのであった。20日には、抜糸ならぬ抜ホッチキス。糸で縫うのではなく、ホッチキス止めされていたお腹。これは会陰切開より楽だったように思う。22日には当初の予定より1日早く退院した。長くて痛い10日の入院生活が終了した。
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| 10月15日 痛みはあとからやってくる |
なぜ帝王切開になったのかの説明があった。微弱陣痛、赤ちゃんが大きい(といっても3305グラム)わたしの骨盤が狭い(わたしは153pと小柄)、へその緒がふつうより短かった(40pなかった)というような、悪条件がそろったからだろうとのこと。「これって高齢出産だから?」と先生に聞いてみた。「違いますよ」と笑われた。この日は1日寝たきり状態。傷口の痛みと後ばら(後陣痛)とでまたまた痛み止めを使った。帝王切開ならオロなんてないと思っていたのに、それは普通のお産とかわりがないことも驚きだった。
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| 10月13日〜10月14日 わたしのお産! |
13日の午前3時30分。破水か? ちょろちょろ「スイカの食べ残しのような、赤っぽい水」が出てきた。夕べから1時間に1度程度のお腹の痛みはあった。夫を起こして、病院に行くことにした。今までのパターン(わたしは陣痛が弱い)から考えても、これから24時間後くらいにしか生まれないだろうが、破水となれば入院しかない。午前4時30分頃、病院に到着した。子宮の上のほうでの破水だとのことで、自然な陣痛を待つことになった。それから丸1日、10分に1度程度の痛みはあるが、それより強くなることはなく、14日になった。
14日午前9時。この日、陣痛誘発のための入院予定だった。破水で入院したにもかかわらず、やっぱり誘発をすることに。点滴とともに、いい感じで陣痛がやってくる。お昼頃には5分間隔に、子宮口6p。もう昼食どころではない。午後1時過ぎ、赤ちゃんが下りてこないが、子宮口8pに、経産婦でもあり、早めに分娩台にあがった。痛みは絶頂。「いたーい、いたーい」しか言葉が出ない。ところが、1時間たっても、子宮口はそれ以上開かないし、赤ちゃんも下りない。「バシャ」人工的に大きな破水をさせて赤ちゃんが下りてくるのを待った。午後3時、陣痛もそれ以上強くならない。子宮口も赤ちゃんも全く変化なしだ。そして4時前。陣痛が4分間隔に弱くなってしまった。もう二進も三進もいかない状態。主治医が私を見に来た。エコーをかけて、赤ちゃんが下りてこない原因をさぐるが、わからない。「先生、もう駄目です、切ってください」とわたし。「そうですね、これ以上は無理ですね、ご家族を呼んで、手術室手配」と先生。すると、今までどこかに隠れていたかのような速さで人が集まってきて、わたしは手術着に着替えさせられたり、バルーンが挿入されたり、促進剤の点滴をはずされ、注射をされた。はずした途端激しい陣痛がくるが、子宮口も赤ちゃんも変化なし。分娩室は、まるでERかシカゴホープかというような、緊迫した雰囲気だった。今さら強くなる陣痛の中、ストレッチャーで手術室に運ばれた。手術室で麻酔の注射を背中にされた。「もっと前かがみになって」といわれても、お腹大きいっちゅうねん(声には出さないが)。1度の麻酔では効きが悪く、さらにもう一度麻酔をされた。胸から下の感覚がなくなった。「メス!」いやードラマみたいやんか。「はい、16:時51分男の子、おめでとう」の声。やっとやっと生まれた。立ち会ってくれた助産士さんが、赤ちゃんの顔とおちんちんを見せてくれた。その後どうやって病室に帰ったのか、今となっては記憶がないのだ。麻酔が切れると、痛み止めなしで眠れなかった。(最初は注射で、その後座薬)起きあがることもできず、長い夜だった。
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★ここにはサポーターのアドバイスが入ります。
編集部よりコメント
ティナさんへ ティナさん、ご出産おめでとうございます。
そしてユークン、地球の人間ワールドへようこそ。ティナさんのひとことひとことは、3人目とあって、”ジン!”(感動の感嘆詞です)にもさすがの深みと余裕が感じられますが、でも出産はいつも生死(しょうじと読みたい)の境界にあるもの、その感動も他に喩えようもないもの、と感じさせられます。ティナさんの奮闘に深く敬意を表します。おめでとう!おめでとう!ございます。
(So Da Tsu com 編集長 吉田泰子)
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