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オーストラリア マルチカルチャーな子育て(全4回更新)

Episode4 オーストラリアの子育て事情

~町ぐるみの育児~

初めての育児と産後うつ

お互いに助け合う家族ぐるみの仲間たち。三家族でキャンプに言った時のもの。

お互いに助け合う家族ぐるみの仲間たち。三家族でキャンプに言った時のもの。

息子を出産後、初めての育児と体調の悪かった夫の看病と、さらに自営業への復帰とで、てんてこまいでした。初めの3週間は母が日本から手伝いにきてくれたものの、その後はひとりで全てをこなす日々。家族がいないのは私だけではなく、移住者の多い私の住む町では多くの友達が家族のサポートなしで育児をしています。

息子が生後3ヶ月を迎えたある日の夕方。ぎりぎりで持ちこたえていたゴムがぱちんと音を立てて切れるように、私の中で何かが壊れました。一人で抱えるものが多すぎて、限界が来てしまったのです。産後うつだとすぐに察しました。翌日すぐに病院に行き、医師に産後うつと診断してもらい、専門医のカウンセリングと軽い抗鬱剤での治療が始めました。

お互いに助け合う家族ぐるみの仲間たち。三家族でキャンプに言った時のもの。

お互いに助け合う家族ぐるみの仲間たち。三家族でキャンプに言った時のもの。

町をあげての御神輿?

遊び相手には困ることのないくらい地域にはたくさんの同年代の子供達がいます。

遊び相手には困ることのないくらい地域にはたくさんの同年代の子供達がいます。

産後うつはかかったことのある人にしかわからない辛さがあります。それまで頑張れていたのに、もうどこにも力が残っていない感じ。説明のしようのない焦りや、息子への罪悪感、押しつぶされそうな不安な気持ち。いてもたってもいられなかった私が最後の力を振り絞ってしたことは、周りに話す事でした。幸い私の住む町には同じ頃に出産した友達がたくさん。

歩ける範囲で近所の友達に会いにいき、電話やメールでも産後うつだと周りに知らせました。周りからどう思われるだろうと言う事よりも、周りに助けを求める事が、自分を含め家族を救う事に繋がるだろうと思ったからです。するとどうでしょう。次から次へと手を差し伸べられ、息子を預かってくれたり、家で食事に誘ってくれたり、マッサージをしてくれたり。それはまるで倒れていた私が一人一人の手で支えられ、いつの間にか御神輿のように持ち上げられて、町中がお祭り騒ぎになるようでした。それまで何事も一人で踏ん張って乗り越えてきていた私の人生で、初めての体験。助けて欲しいと言える本当の強さを学んだようでした。そしていつでも私たちはここにいるからねという町中の愛を体で感じました。

御神輿のおかげで私は2週間ほどで最も辛かった時期を抜け出し、あとは時間をかけて「頑張りすぎない自分」探しをしました。息子が一歳になる頃には、育児と家事と仕事、そして自分の時間のバランスを無理なく取れるようになりカウンセリングも薬も卒業できたのです。

遊び相手には困ることのないくらい地域にはたくさんの同年代の子供達がいます。

遊び相手には困ることのないくらい地域にはたくさんの同年代の子供達がいます。

周囲の愛で救われた命

産休を延長することにして義理家族のいるマダガスカルへ行って療養した時。

産休を延長することにして義理家族のいるマダガスカルへ行って療養した時。


ママであり、経営者であり、料理家です。

ママであり、経営者であり、料理家です。

娘の出産時もまた町中の友達に支えられました。出産中の酸素不足で脳に異常が起き、意識をなくした娘は集中治療室で厳重に監視され、医療事故で膀胱が破損した私も長引く入院。その中で一番懸念したのが息子の事でした。ちゃんと食べているか、寂しい思いをしていないか、そばにいてあげられないもどかしさを感じていました。すると近所の友達が私が心配しなくていいようにと息子と夫に温かいご飯を届ける当番表を作ってくれたのです。20人近い地域の友達が参加してくれて、そのリストは1ヶ月半にも及びました。また毎日息子が病院に来れるように、さらに地域の友達とも遊べるように、息子を送り迎えして遊びに連れて行ってくれるリストもできました。温かいご飯やメッセージは病院の私の元にも届きました。

娘の容態が安定しない頃は、地域だけでなく文字通り世界中の友達から応援や祈りのメッセージが数えきれないほど届きました。術後の痛みと娘を思う胸の張り裂けそうな思いで生きた心地のしなかった私は、そのメッセージを読む事でなんとか呼吸を続けられていたような気がします。

未だにはっきりと説明のつかない娘の生後の生命の危機は、周りの人々からの愛と祈りで乗り越えられたと今も思っています。脳性麻痺という後遺症は一生抱えていく事になりますが、娘の娘なりのペースでの成長を町中、いえ、世界中の皆が見守ってくれているのです。たくさんの人からの愛と祈りを吸収して成長している娘が、それを映し出すかのように、いつも無敵の笑顔で幸せいっぱいに育っています。

産休を延長することにして義理家族のいるマダガスカルへ行って療養した時。

産休を延長することにして義理家族のいるマダガスカルへ行って療養した時。


ママであり、経営者であり、料理家です。

ママであり、経営者であり、料理家です。


★「世界の子育て事情」は、今回の更新をもって一旦お休みとなります。長い間、ご愛読いただきありがとうございました。

2014年4月18日更新

プロフィール

マーシャン祥子

1979年生まれ。オーストラリア・マンリー在住。オーストラリア歴6年。家族構成/夫(フランス人)、長男2010年生まれ、長女2013年生まれ。

大学で管理栄養士を専攻して資格を取得後、東京の料理教室やレストランで働く。2005年フランス料理を学ぶ+サーフィンを満喫するために渡仏。料理とサーフィン修行の傍ら寿司のケータリングを行う。その後ドミニカ共和国でメニュー開発の仕事をしつつラテンダンスを学ぶ。モロッコでのスパイスの研究をするために半年間滞在し、同時にバンを改造して移動式寿司レストランを作る。旅をしながら料理を通じて各国で人と文化との触れ合いを楽しむ。2007年モロッコから渡豪。夫と出会い電撃結婚。2008年よりシドニーをベースとして出張料理と料理教室のDining Storyを展開。その傍らライターとして食、育児、教育、環境などの分野の情報をシドニーから発信している。

■Dining Story:http://www.diningstory.com.au/

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