SoDaTsu日記

育児日記

ゆりころさん/けいちゃん 2歳5ヶ月

流産について

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今週は私の流産経験について少し書いてみようかと思う。私にとって未だにつらいもので、そして経験するまで分からなかった流産というものについて、私なりの考えをまとめてみたい。私は医者ではないので色々と間違えているかもしれないのでご了承を。
私は長い間不妊が続いていた。長い間…10年以上。その間、毎月生理がきてはガックリするのをひたすら繰り返していたのだから我ながら信じられない。途中、私だけは検査を受けたりタイミングをみてもらったりとはしたけれど、旦那さんが治療をしてまでは嫌だと取りつく島もない状態だったので、そのままズルズルと時は過ぎてしまった。そして札幌から東京へ引っ越してきた時に、旦那さんと話しあった。当時私は37歳、もしかしたら妊娠は難しいのかもしれない、毎月つらい、長男コロがいるだけでいいのではないか、などを淡々と話してみた。旦那さんはもう少し様子をみようよ、と言った。毎月つらいのは私なのにな…と思ったのを覚えている。
そしてついに39歳になったばかりの時に妊娠発覚。とにかく信じられなくて、妊娠検査薬を何本も使ってしまった。そして病院へ。胎嚢をボヤっと確認。本当に信じられなかった。すぐにつわりが始まった。とにかくつらい。待望の妊娠で嬉しいはずなのに、フワフワとした雲の上を歩いているようでいつまでも実感がわかなかった。よく分からないけれど、お腹の中にいる子に会えないような漠然とした不安を抱えていた。高齢出産であることと、長年の不妊でそんな気持ちになっていたのか、はたまたその先にある現実を感じ取っていたのか。
そんな私の不安をよそに病院では順調に心拍の確認もできた。ずっと現実味のなかった妊娠だったのに、だんだんと「妊娠したんだ!」という気持ちが強くなってきた。そしてツワリがひどくなった。身体を真っ直ぐにできない。長男コロの時もこんなにひどかったかな? あまりに前すぎてよく思い出せない。定期健診で、待合室のソファでグッタリしている私を見て、一瞬医師の顔が険しくなった。そして診察。お腹の中の子はまたまた成長していて、体育座りをした後ろ姿がエコーにうつっていた。お尻がプリっとしていて可愛いかった。私はニコニコしながらエコーを眺めていて…しばらくして、気付いた。あれ、静かじゃない? エコーの時って子供の心拍の音がトントンって鳴り響いているよね? 診察は長かった。長い時間が過ぎてから、医師は心拍の確認ができないと言った。

そこからはもうひたすら泣いていた。念のためにほかの病院でも診てもらい、やはり心拍の確認はとれなかった。手術を受け、術後の経過を聞きに行ったとき、更なる試練がやってきた。「胞状奇胎」だと言われた。何それ? 長男コロを妊娠している時に熟読していた妊娠本に、すみっこに小さくのっていた子宮の中にブドウみたいなツブツブができるやつ? 説明をきいても頭に入ってこない、どうやらツワリがひどいのも症状のひとつらしい。少し前にサッカー選手の奥さんがなり、抗ガン剤で髪の毛が抜けてしまう奥さんのために家族全員で丸坊主になったのをニュースでみたけれど…。
経過を見ながら、再度手術をしたり、治療をしていくらしい。もらった薬には「妊婦は飲んではいけません」と赤字でデカデカと、全面にわたってプリントされていた。「もう大丈夫でしょう」と治療が終わったのは、そこから半年ほどたってから。ちょうど妹の結婚式の2日前に病院に行ったので、皆で集まった場でこっそり母にだけ報告をした。
こんなに泣き暮らせるのかと思うほど、毎日涙が出た。長男コロは心配して「大丈夫?」と声をかけてくれた。いつも頭の中にはあの子の可愛い後ろ姿があって、消えなかった。ごく初期の流産(妊娠検査薬で陽性で、そのあと生理がくる)は何度か経験があったけれど、その可愛い姿が見えてからの流産がこんなにつらいものだとは…。全く違う。これがぽこぽこと胎動を感じてからだったり、あと少しで会えるという時だったりする人もいるんだ。なんでこんなに悲しい事が起こるんだろう。
流産を報告する時、とても複雑な気持ちだった。同情してほしいわけではない。「初期の流産は母には責任ないっていうからね」「流産って、いつまで言ってるの?」「流産?私も経験あるー(妊娠検査薬で陽性後、生理がきたらしい)」そんな言葉を投げかけてこないでほしい。ただひっそりと寄り添うか、何も言わないか。経験しないと分からない事は多い。知ったかぶって踏み入ってはいけない事もある。相手を想って言うひと言でさえ、真実味がなければナイフのようだ。
私を救ってくれたのはけいちゃん。けいちゃんを妊娠する事ができたのは旦那さんの優しさ。多感な時期に理解を示し、支えてくれた長男コロ。

流産してから、私は取り憑かれたように体質改善に励んだ。というのも、流産したと思われる時期のある夜、寒くてたまらない日があった。とにかく寒くて、つわりもひどくて、横になっていても辛かった。ガクガク震えながら、ダウンのベストを着て、靴下を履いて、毛布にプラス掛け布団をかけても震えが止まらない。身体中が冷たくて、普段から体温が低めの私でもこれは異常だと感じていた。お腹だけは冷やさないように、腹巻もした。今思えば、あの晩、可愛いあの子はお空に帰ってしまったのではないか。身体があんなに冷たくなったあの時、もっと他に何かできたんじゃないか、私が体調管理をしっかりしていればもしかして…。「もしかしてあの子は生きられたんじゃないか」。
そして身体を温めることにした。ここで出会ったのが「冷え取り」。シルクと天然繊維の靴下を重ねて履いて体温を上げていくというもの。靴下以外にも身につけるもの全てを天然繊維にかえた。冷え取りをしながらもうあの子がいないことに泣いて、なんでもう必要ないのに私はムキになって体温を上げているのかと泣いた。冷え取りの本に「不妊だった私が冷え取りをして2年で自然に妊娠できました」とあって、本を抱えて大泣きした。間に合わなかった、もっと早くに始めていればあの子がお腹に来たときに温かいお腹で迎えられたのに。
そしていつの間にか、平熱34〜35℃だった私の体温は36.7℃まで上がっていた。そしてそして、そんなある日にけいちゃんを妊娠していることがわかった。その時、私は不思議と落ち着いていて「この子にはちゃんと会える気がする」と旦那さんに電話で伝えたのを覚えている。そこからの妊婦生活は苦しいこともあったけど、幸せの方が優っていた。それでも前回のように心拍が止まってしまうのではないかという恐怖は完全に消えることはなくて、ドキドキして落ち着かなくなると声を出さずにお腹のけいちゃんとお話しした。「今、何してるの?無事にうまれてきてね。あなたに会うのが楽しみで仕方ないよ」

今でも可愛いあの子の後ろ姿を思い出しては涙が出てくる。流産の感じ方はそれぞれだと思う。声をかけて欲しい人もいれば、そっとしておいて欲しい人もいると思う。寄り添うのは難しい。難しいということを知っていてくれるだけでいいような気がする。

今週のけいちゃん

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旦那さんの言う事を聞かなくなってきた。「歯磨きするよ」も「お風呂あがりのクリームぬるよ」も「ちょっとこっちおいで」も全部無視。けいちゃんには甘々だった旦那さんもさすがに最近は少し怒るようになってきた。その怒り方が「じゃー、もう、グミあげないからね」というように若干低レベル気味なのが気になるのだけど。
長男コロが「かーさん、大好き」と私に(ふざけて)抱きついてくると、けいちゃんは慌てて自分も「かーしゃ、だーき!コロ、だーきって言わないで!」と私に抱きついてくる。ついでに頭で長男コロをグリグリ攻撃しながら脇に追いやる。息子2人に取り合いっこされるなんて、こんな幸せがあるかしら?そんな風にケンカ?もするけど2人は仲良し。お風呂に入れば長々と楽しそうな声が聞こえてくるし、「ころ、だーき!(大好き)」とけいちゃんが長男コロに抱きついていることもある。お歌も上手で、最近はいろんな歌詞を覚えてよく歌っている。
もういつでも可愛いくて困ってしまう。完全に親バカ。昨日も今日も、明日も幸せ。けいちゃん、さんきゅー。

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2歳5ヶ月

ゆりころさん(31歳)

ゆりころさん今ではもう中2の息子がまだ小さかった頃、こちらの日記のファンでいつも楽しみに読んでいました。あれから約10年、奇跡の妊娠を果たした今、今度は自ら日記を綴る側となりました。
息子のベビー用品は勿論、私の中のベビーのお世話知識はほぼリセットされて、ゼロからのスタート状態です。皆様応援よろしくお願いします。

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ともに生きる人を大切にして、ともに居られる家族を大切にして、素敵な記憶を増やしたいですね。
(So Da Tsu com編集部)