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廣戸聡一スポーツから導きだされた、新・子育て論 廣戸聡一
 
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伝統的な礼儀・所作の中に、
体の正しい使い方がある。



結局、しつけと同じです。人に物を渡すときに、「はい、これー」って、体の横の方からぽいと手先だけで物を渡すような、失礼なことはしちゃだめだよ、ということです。自分の正面、つまり体幹から「どうぞ」って渡しなさい、と。昔からいわれている礼儀や所作の中に、体の正しい使い方があるんです。

体幹との位置関係が大切なんです。それは、体の使い方を教えることです。必ず正面で物事をすること、相手の目を見なさい、相手の正面に立って話しなさい、と教えなければいけない。正面を外すのは、ケンカか闘いのときだけですから。

ケンカするときは、この正面を意識的に外すんです。少し外して斜めに相対すると、自分はいい位置ですが、相手はすごく不安になります。この体の正面の角度が「間合い」になるんです。間合いというのは、相手との距離の問題ではなくて、角度の問題なんです。

この間合いも、「○○ちゃんが好き」「△△ちゃんが嫌い」っていう感情で覚えていくんです。小さい子だって、「あいつ、今日は許せん」と思ったりするわけで、そのときに、体がその子に対して斜めになる。立つ位置も違う。それを相手も、なんとなく怒ってるな、と感じて、「ごめんね」って言ってみたり、急にクレヨン貸してあげて修復を図ろうとしたりするわけです。

コミュニケーションとはそういうこと。ですから、そういう経験をして、ちゃんと覚えるってことが大切なんです。


10歳までに育てたい「三人称」の感覚。
しかし、未発達の子どもが多い。



基本的な脳の発達は、だいたい10歳前後で終わるんです。ですから、それまでに感覚が「三人称」にまで発達していないといけない。

3,4歳までは「一人称」。たとえば、小さい子にとって、「投げる」というのは、つかんでいたものが手から離れる、という概念しかないわけです。手近にあるものをただ落として喜んだり、つかんで「えいっ」と投げて、「よしよし、いい感じ」と満足している。これが「一人称」です。

そこに、相手が出てきて、感情が生まれてきて「二人称」になります。幼稚園や保育園に入って、子ども同士のコミュニケーションが始まって、気に入らないから○○ちゃんにおもちゃをぶつけた、というようなことが出てくる。

これは、一人称から発達してきているのだから、喜ぶべきことなんです。やってる子も、次にはやられることがあって、飛んできたものを「受け取る」ことを学ぶんです。こうして自分が持ってるものを相手に渡す、渡される、ということができるようになる。これが幼稚園、保育園の低年齢クラスで学ぶことです。

その次には、「みんな」が出てくる。「みんな」と「自分」という関係ですね。○○ちゃんにあげたものが、みんなの間を移動していって、自分に回ってくる、ということや、先生がいて、みんながいて、自分がいる、という複雑な関係を学ぶ。「三人称」の段階です。

ボールを投げるときにも、目的があるわけです。自分が投げたことによって、どんなことが起きるか、という出来事の予測につながるのです。相手に渡すことによって、相手にどんな感情が生まれるのかを考える。あきらめなきゃいけない場合もある、ということがわかる。小学校に上がるまでに、そこまで発達させるのが、幼稚園や保育園の役割です。

ところが、「うちの子は投げるのがうまい」ということだけにこだわってしまうと、大切なコミュニケーションの発達が前に進まなくなってしまう。「どうやったらうまく投げられるか」っていう、小手先の技術だけの話になってしまうんです。

今の子どもたちは、みんな「一人称」のまま育ってしまったようなところがあります。「他人に対してコミュニケーションできない」というのは、能力がないんじゃなくて、未発達なんです。「私は何をしたいか」という感覚しかないから、まわりの状況を見ながら自分はどう動けばいいか、何ができるか、ということに思いがいかないんですね。


人間は効率よくは育たないもの。
失敗こそ、宝です。



子どもはみんな天才です。みんな可能性を持っている。それをつぶすのは、大人です。

大切なのは、待ってあげることです。効率よく人間は育たないんです。失敗を見て、自分が選ぶものを集積していく。それで進路が決まっていく。ミステイクが必要なんです。

これはだめ、あれもだめ、と先にやってしまうと、セレクトする能力がなくなってしまう。「天才は99%の努力」という言葉がありますが、これは失敗していくなかで、正しいことを見つける、という意味じゃないかと僕は思っています。だとすると、ミスをあげつらってはいけない。

階段はゆっくり1段1段上るもので、一気にダーッと跳び越そうとすると怪我をします。それと同じです。自然の摂理のなかで、それに従って動くためには、短期間に強制的に何かをやらせるということはあり得ない。

体の発達にともなってしか、機能として動かないんです。よその子とは違う、その子の都合があるんです。子ども時代の優劣なんて、長い人生から考えたら全然、たいしたことではない。

だから、子どもに何かできないことがあったら、人と比べるんではなくて、なぜできないのかをよく見てあげることです。手取り足取り、こうしなさいああしなさいっていうのではなく、その子の動作をつぶさに見てみてあげたら、直すべき箇所が見えてきます。

1か所直してあげれば、能力はいきなり変わります。その変化を楽しんであげてください。

うまくできないところにダメだしをして直そうするから、嫌いになってしまうんです。そうじゃなくて、できない原因はどこか別の部分にあるんです。野球の指導をしていても、ほんの一言、「左のグローブをちょっとこっちに持ってくればいいからね」って言うと、それだけでいきなり、正確にボールが取れるようになったりするものです。

上達のために重要なのは、「美しく動けているか」「楽そうにやれてるか」ということ。動作そのものを教えこむより、その子がちゃんとうまく立てているかどうか。その子の持っている本質的な動きができているかどうか。バランスよく、気持ちよく楽に動く肉体が、ちゃんと発達しているかどうかを、親はすぐ近くで見守ってあげることだと思います。
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環境と自分との位置関係…

筋肉は骨格の強度に
比例して…

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