SoDaTsu日記

妊娠日記

やまちゃん/妊娠 10ヶ月

3月6日(木) Day1

やまちゃんの夫です。いつも、育つコムブログをお読み頂きありがとうございます。去る3月8日午後15時46分、無事元気な男の子を出産しました。今週のブログは産褥期の妻に代わって、陣痛が始まってから出産までの経緯を私からの視点で書かせて頂こうと思います。拙い文章ですが、何卒ご容赦願います。

3月6日木曜日早朝4時。やまちゃんのお父様から電話がありました。一時間ほど前から規則的な陣痛が始まり、先ほど病院で入院手続きを済ませたので、朝一番の電車でこちらへ来てほしいとのこと。始発の電車で前橋へ向かいました。正午前に病院へ到着。道中、お産に間に合わなかったら、、と気がかりでしたが、まだまだ産まれる気配は無いようなのでひと安心(?)しました。陣痛室に入って、朝から付き添いをしていたお母様と交代をし、部屋に入った途端に同室の妊婦さんの凄まじい陣痛の悲鳴が聞こえてきたので、事前に想像はしていたけれども、少し尻込みしてしまいました。
奥のベッドにいた妻は、痛みよりも吐き気で朦朧としていて、食べた食事や水分をほとんどすぐに吐いてしまっている様子。まだ赤ちゃんが上の方にいるので胃が圧迫されてそういった症状になるようでした。陣痛が始まると、背中から尾てい骨にかけて痛みが走るので、マッサージをしつつ腹式呼吸を先導して、痛みを少しでも和らげる事に専念しました。事前に聞いていた話だと、初産で陣痛がはじまってから、大体平均で10時間ほどで出産に至る、ということだったので今夜中か、早朝には赤ちゃんの顔が見れるのかな?と勝手に予測していたのですが、今思えば本当に勝手な予測でした。。
交代で見に来てくれる助産師さんの話によると、非常にゆっくりした動きで、しかし着実に下がってきてはいるとのこと。お腹の赤ちゃんも凄く元気ですよ!と言ってくれるので不安は和らぎました。

3月7日(金) Day2

第一夜が明け、二日目には、赤ちゃんが下がって来るにつれ吐き気も徐々におさまり、ごく少量ですが、食事が取れるようになりました。とはいえ陣痛がはじまって丸一日が経過した時点で、母子ともに消耗が激しいのは明らかなので、夕方には人工的に破水させる「破膜」によって、陣痛を早める処置が施されました。
それによって妻の痛がりようもまた一段階レベルアップし(急激に変化が起きたので本当に辛そうでした)、一時的に陣痛の頻度もあがったのですが、あまりに痛くて寝たり起きたり、どうにかして少しでも楽な体勢を取れないものかと二人で試行錯誤しすぎて、陣痛のペースもいつのまにか元に戻ってしまいました。私も眠気と疲労とで、妻が痛がる箇所をなかなか押すことができず、業を煮やした妻が私の手を孫の手のように使って掻き毟っていたのを覚えていますが、二日目の晩の記憶はかなり曖昧です。時間の感覚がほぼ無くなっていたというか、意識は半分寝ていたかもしれません。
妻はソフロロジーでの出産を希望していたたため、イメージトレーニングや、腹式呼吸の練習は割ときっちりやっていた方だと思います。そのため何人もの助産師さんが、妻の腹式呼吸を、とても上手ですね!と褒めてくれていました。子宮口もほぼ完全に広がり、いよいよ赤ちゃんが産道を通る準備はできているようでした。しかしやはり、分娩に至るには、ある一定以上のペースで、強い陣痛が必要なことがわかってきました。

3月8日(土) Day3

朝には、妻の陣痛の頻度も、疲労の為さらに落ちてきました。私もさすがにこのままでは身が持たないなと思い、妻の実家に電話を入れ、お母様に病院に来てもらって付き添いを変わってもらい、仮眠をとることにしました。午前中いっぱい病院のソファで眠って、11時半頃に陣痛室に戻ると、妻は清拭と足湯をお母様にやってもらった甲斐もあって、幾分楽になっていた様子でした。
午前中に医師の検診があって、あと1時間待って出産に至るような陣痛が来なければ陣痛誘発剤の点滴を開始し、ソフロロジーも、通常のいきむタイプのお産よりも時間がかかるため中止することにしました。妻は「ここまで自力で頑張ったし、あとは少しでも早く赤ちゃんの顏が見たいよ」と言いました。私もまったく同感でした。そのあとお母様に勧められて病院の近くにあるホテルのランチバイキングで食事をとったのですが、まだ頭が起きていないせいで、サラダの上に中華焼きそばとピザを乗せたりと、むちゃくちゃな食べ方になってしまいました。
午後、食事から戻ると既に点滴が開始されており、ベッドの両脇には、いきむときに身体を支えるバーが装着されていました。程なくして、本人曰く、今までとはけた違いの陣痛がやってきて、七転八倒の苦しみでした。しかしその甲斐もあって、分娩室まであと一歩、という所まで近づくことができました。お腹に赤ちゃんの心拍数と、お腹の張り具合を示す数値がでる機械をつけていたのですが、午後3時を少し過ぎたところで急に赤ちゃんの心拍数が下がりはじめたので、急遽分娩室へ移動し、出産へのカウントダウンがはじまりました。

幸い分娩室で赤ちゃんの心拍数は元に戻りましたが、既に最初の陣痛から約60時間、ストレスはかなりのものだろうということで、少し無理やりにでも早く出てきてもらうことに。具体的には、吸引具を使ったり、助産師さん達が妻のお腹をがんがん交代で押して、分娩を補助するというものです。私は妻の枕元に立って水を飲ませたり、妻がいきむときに頭を手で起こしてやることで赤ちゃんが出てきやすくなるようにする役割をもらいました。
約40分後。妻が最後の力を振り絞って、赤ちゃんの頭がこちらからもわかる角度から見えた時に受けた衝撃は凄いものでした。想像以上に、でかい!程なくして完全に母体からとりあげられ、元気よく泣き始めました。しかし直後の身体検査で、呼吸が上手くできていなかった為、すぐ保育器に入れられて、より詳しい検査のため上階の小児科病棟に入院することになりました。そのため妻も私も、産まれた赤ちゃんをだっこすることはできませんでした。

私は正直不安でしたが、大仕事を終えたばかりの妻の落ち着きは怖いくらいのものでした。きっと大丈夫だということが、やはり本能的にわかっていたんじゃないかと思います。その後、2時間は分娩後のケアでその場に安静にしなければならないので、分娩室に残り二人で話をしました。
やまちゃんは言いました。「今日、ふたつ発見があったよ。一つ目は、限界を超えたところで見える風景があるっていうこと。私が微弱陣痛でなかなか産めなかったのは、痛いのが辛すぎて、その限界に挑めなかったからなんだよ。だって先に産んでいった同室の妊婦さん達、ものすごい雄叫びあげてたじゃない(笑)」「確かに(笑)」「あとひとつはね、世の中には家族に関する凄く悲しいニュースがあったりするけど、繋がりは絶対にあるっていうこと。その表現の仕方がうまく行かなくて悲しいことになるの。でも繋がりはなくならない。なんだかやっすいTVドラマみたいなセリフかもだけどさ~」。

夜7時半頃、妻のご両親が来て、労をねぎらってくれました。それから程なくして赤ちゃんの検査が終わったとの知らせを受け、小児科新生児病棟へ行き、2人で医師の説明を聞きました。呼吸障害の原因は気胸で、数日もすれば塞がるだろうということ、熱が39度あること、あとはおそらく出産のストレスによっていくつかの数値が高めなので、大事をとって最低1週間の入院はすることになるだろうということ。その後病棟内の保育器に入れられた息子氏に会いましたが、思いのほか元気そうで、胸をなで下ろしました。やっぱり大きい。3470gだそうです。保育器越しに手を握り、目もこちらへ向けてくれました。
翌日以降の事も書きたいのですが、長くなりすぎたので、いったんここで日記を終えようと思います。私は翌日9日に長野へ帰宅したのですが、今日(月曜日)、気胸は塞がったとの連絡を受けました。どうやら元気すぎて動きまくっては、すぐ疲れて、の繰り返しみたいです。そういう所は母親似かもしれない。

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妊娠 10ヶ月

やまちゃん(39)

やまちゃん去年は夫との出会いにはじまり、2人で一目惚れした長野県にIターン&結婚と自分でもびっくりするくらい激動の年でした。

毎週高速バスで東京、宮城、長野をぐるぐる、家にいられるのは半月という生活だったので、そろそろ落ち着けるよう準備しようかなぁと考えていたら妊娠発覚!内心「早すぎるよ~」と冷や汗かきつつ、来年は40の大台に上がることだし、大人の(?)勢いで楽しんでやろうと思っています。

子育て応援サポーターから

やまちゃんへ
やまちゃん、ご出産おめでとうございます。母子ともに大変おつかれさまでした。決して無理をせず、しばらくゆっくりと静養してくださいね。

「やまちゃんの夫」さん、臨場感あふれるレポートをしていただき、ありがとうございます。途中、意識がもうろうとしていた場面がとてもリアル。家族が増えたこれからの生活はどうなるのでしょうか…。どうか気をたしかに新生活をお楽しみください!
(So Da Tsu com 編集部)

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